京都市バス・京都バス一日乗車券 九日目

慈照寺/銀閣寺(じしょうじ/ぎんかくじ)・永観堂/禅林寺(えいかんどう/ぜんりんじ)・南禅寺(なんぜんじ)

2014.10.15 晴れ 23℃

500円で巡る京都・九日目。先週の台風18号に続き台風19号の影響で予定がずれてしまったが、台風一過で穏やかな天気となった。本日は東山文化の中心となった銀閣でお馴染みの慈照寺、そこから永観堂、そして禅寺の最高峰、南禅寺と京都の東側、所謂、哲学の道を巡ってみたい。本日のコースは京都市営バスの5系統で全て回れるため乗り間違いもないので安心だ。

京都駅前(5系統)→銀閣寺道

京都駅前A1 本日のスタートは京都駅前A1番乗り場から。10:14発の5系統に乗り込み、まず最初の目的地銀閣寺道へと向かう。

銀閣寺道

銀閣寺・山門 京都駅前からは烏丸通を上がり四条から三条は河原町通、東山三条を経て白川通を進み約45分で銀閣寺道に到着。山門までの参道には観光地らしく飲食店や土産物店が立ち並ぶ。

慈照寺/銀閣寺(じしょうじ/ぎんかくじ)

銀閣寺+向月台+銀沙灘 山門を入り生け垣の参道を進み受付で拝観料500円を収める。中へ進むとすぐに右手に国宝でもある木造二層の銀閣が見えてくる。この銀閣があまりに有名なため銀閣寺と呼ばれているが正式には東山慈照寺(じしょうじ)である。1482年に足利義政が建てたもので、祖父である足利義満の建てた金閣寺(鹿苑寺)に対し銀閣と呼ばれるようになったそうだ。その左には方丈の庭園が広がり、向月台(こうげつだい)と銀沙灘(ぎんしゃだん)が見える。向月台は円錐の上部を飛ばした台形で人の背丈ほどの高さがある。その周りに広がる波模様が銀沙灘である。銀沙灘は中国の西湖の波模様を模していて海原を表しているそうだが向月台については諸説あるがよくわかっていないそうだ。

銀閣寺・東求堂 方丈の東側には銀閣と同じく国宝である東求堂(とうぐどう)がある。観音殿にあたる銀閣とこの東求堂のみが建立当寺のまま残っているということだ。500年以上も風雪に耐え、我々にその姿を見せてくれていること、そしてそれが木造の小さな建物だということを思うと感慨に打たれる。

銀閣寺・山上から 庭園内を順路に従い進むと山道に入る。義政公愛用のお茶の井跡などが有り、更に上からは銀閣を手前において京都市街が望むことができる。ようやく秋も始まったようで山の緑にチラホラと紅色が混じり始め、京都も本格的な秋の観光シーズンの到来を感じさせる。

銀閣寺道(5系統)→南禅寺・永観堂道

白川通に戻り南行きのバスに乗ること約5分南禅寺・永観堂道のバス停に到着。東に向かい鹿ヶ谷通にでるとすぐに永観堂になる。

永観堂/禅林寺(えいかんどう/ぜんりんじ)

永観堂禅林寺01 バス停から徒歩で3分ほどで山門に到着。永観堂と呼ばれることが多いが、正式には山号が聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院(むりょうじゅいん)、寺名は禅林寺(ぜんりんじ)であり永観堂は中興の祖とされる第七世法主の永観律師にちなむということである。
永観堂・阿弥陀堂阿弥陀堂に祀られている本尊「みかえり阿弥陀」と呼ばれる阿弥陀如来立像には伝説がある。

永観50歳のころである。2月15日払暁、永観は底冷えのするお堂で、ある時は正座し、ある時は阿弥陀像のまわりを念仏して行道していた。すると突然、須弥壇に安置してある阿弥陀像が壇を下りて永観を先導し行道をはじめられた。永観は驚き、呆然と立ちつくしたという。この時、阿弥陀は左肩越しに振り返り、
「永観、おそし」
と声をかけられた。永観はその尊く、慈悲深いお姿を後世に伝えたいと阿弥陀に願われ、阿弥陀如来像は今にその尊容を伝えると言われている。

実際に像を正面から見てみると確かに阿弥陀如来の顔は左肩越しに振り返っている。不謹慎ながら少し面白い。

永観堂・京都市街 広い境内を巡り多宝塔のあたりまで来ると京都市街が一望できる。

永観堂・放生池 放生池の周りでは紅葉が色づき始め、秋の訪れを感じさせる。永観堂は「もみじの永観堂」とも呼ばれ、その名の通り境内は多くの紅葉で溢れ、今少し秋が深まれば面目躍如とばかりに美しい光景を見せてくれるのは間違いない。(そのぶん建物などの撮影は紅葉越しが多くなかなか骨を折るのだが)

南禅寺(なんぜんじ)

南禅寺・三門・横

南禅寺・三門 さて永観堂に続き南禅寺へと向かう。南禅寺までは徒歩で5分ほど。山号は瑞龍山(ずいりゅうざん)、寺号は詳しくは太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)というそうだ。歌舞伎の石川五右衛門による「絶景かな、絶景かな」のセリフでお馴染みの(実際には五右衛門の没後30年以上後に建てられている)三門を横から見ながら正面に回る。五右衛門のセリフはフィクションだがこの堂々たる威厳は絶景と言って差し支えない。藤堂高虎が大坂夏の陣で戦死した一門の武士たちの冥福を祈るため寄進したものということだが当時の武将・大名が家臣の死に対しての思いが垣間見えるように思えた。

南禅寺・石灯籠 門前右手には巨大な石灯籠がある。その高さは6mを超えるとのことだ。寛永5年の三門落慶の際に佐久間勝之が供養の為に奉献したもので佐久間玄藩の片灯寵(対になっていない為)と呼ばれている。勝之は上野東照宮、名古屋熱田神宮にも同様の石灯籠を奉納しており、合わせて「日本三大灯篭」と呼ばれている。

南禅寺・法堂

南禅寺法堂内

奥に進むと法堂が姿を見せる。中にはいることはできないが正面部分が格子状になっており、本尊である釈迦如来像や天井の雲龍図を見ることができる。大きな法堂だけに人がいないと少しさみしい感じだ。

南禅寺・方丈庭園 国宝である方丈へは拝観料500円を納めてからとなる。大方丈、小方丈からなり、大方丈は旧御所の建物を下賜されたもので、一方の小方丈は伏見城の遺構と言われているそうだ。写真上、大方丈前面の庭園は俗に「虎の子渡しの庭」と呼ばれ、後ろに控える山や木々と相まって見事な調和を作り出している。

方丈・襖絵

南禅寺・方丈襖絵方丈の各部屋にはデジタル技術による復元された桃山前期の狩野派絵師筆による障壁画が公開されている。復元とはいえ大変素晴らしい物である。

水路閣 方丈を出て水路閣へと向かう。水路閣は東京遷都に伴い人口の減少や産業の衰退した京都復興を目的に第三代京都府知事北垣 国道(きたがき くにみち)が計画した琵琶湖疏水の水道橋にあたる。当時としては画期的なローマンブリッジを模したデザインになっている。建築当時は景観を損ねるものとして反対も多かったが、進取の精神と歴史を守るという矛盾が巧みに組み合わさり調和された景観である。

程よく日も暮れてきた所で本日の京都巡りは終了としよう。

平安神宮前(5系統)→京都駅前

南禅寺を西へ抜け仁王門通から平安神宮前まで歩く。16:40の京都市バス5系統に乗り帰途へ。

今日のまとめ

今回は銀閣、永観堂、南禅寺と哲学の道を北から南へと巡ったのだが、やはり日本人の持つ繊細さや、自然の中で生かされているという謙虚さ(当時の人が意識していたかは定かではないが)がそれぞれの建物、庭園、絵画や彫刻全ての中に感じられた。普段通勤などで目にはしていても改めて眺めてみると、そこには何か発見があるものだ。

今回乗った路線:京都駅前(5系統)→銀閣寺道(5系統)→南禅寺・永観堂道

平安神宮前(5系統)→京都駅前

使ったお金:一日乗車券 500円、拝観料500円(銀閣寺)、500円(南禅寺・方丈)

所要時間:約6時間

スポンサーリンク

シェアする

スポンサーリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください