京都市バス・京都バス一日乗車券 十九日目

広隆寺(こうりゅうじ)・革堂(こうどう)・六角堂(ろっかくどう)

2014・12・22 晴れ 7℃

500円で巡る京都十九日目。すっかり師走の雰囲気ではあるが、天気もよくこの時期としては過ごしやすいほうだろうか。本日は弥勒菩薩で有名な広隆寺と京都の中心街にある、少し変わった名前の革堂、そして、華道池坊ゆかりの六角堂を訪ねる。

京都駅前(9系統)→四条堀川(11系統)→太秦広隆寺前

京都駅前B1 本日最初の目的地、広隆寺へは乗り換えが必要になるため、まずは京都駅前B1乗り場より京都市営バス9系統にて四条堀川へと向かう。四条堀川からは京都市営バス11系統に乗り換え、合わせて約40分で太秦広隆寺前に到着である。

広隆寺(こうりゅうじ)

広隆寺・楼門 バスを降りるとすぐ目の前に南大門がそびえ、その両脇には仁王様が睨みを効かせている。山号は蜂岡山、本尊については、創建当初は弥勒菩薩、平安遷都後、薬師如来に変わったが、現在の本堂にあたる上宮王院には聖徳太子像が祀られている。広隆寺・講堂 講堂の柱は朱塗りになっており、その色から赤堂とも呼ばれる。1165年に再建されたものだが、京都に現存する最古のものとして重要文化財に指定されている。中央に阿弥陀如来像、右に地蔵菩薩坐像、左に虚空蔵菩薩坐像が安置されているが一般公開はされておらず、薄暗い金網の向こうにあるため見ることは難しい。

広隆寺・上宮王院 本堂にあたる上宮王院太子殿は本尊にあたる聖徳太子像を安置している。普段見ることができないが、毎年11月22日に行われる御火焚祭(おひたきまつり)のときだけ公開されている。

広隆寺・新霊宝殿 さて、上宮王院太子殿に続いて向かったのはその裏手に有り、ほとんどの参拝客のお目当てになるであろう弥勒菩薩像が安置されてる霊宝殿である。現在公開されているのは1982年に建てられた新しいもので、以前の旧霊宝殿は非公開となっている。拝観料700円を納め中へ入ると正面中央に弥勒菩薩半跏像(みろくぼさつはんかしいぞう)が安置されている。少し距離をおいた場所からの拝観になるが、右手の薬指を頬にあてて物思いにふける姿は、ゴータマ(仏陀)の入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされるその姿は、慈しみにあふれ、そして美しい。その他にも様々な時代に作られた仏像が約50体程安置されておりその静かな迫力に圧倒される。

ここ広隆寺には仏像だけで国宝17、重文31体あるという。度々の火災に遭いながらもこれだけ多くのものが守られてきたことに敬意を抱かずに入られない。

太秦広隆寺前(11系統)→西大路三条(202系統)→河原町丸太町

ちょうど昼食時となったので近くの美登里という食堂で食事をし、その後京都市営バス11系統で一旦、西大路三条まで行き、そこから同じく202系統で河原町丸太町へと向かう。

革堂(こうどう)/行願寺(ぎょうがんじ)

革堂・本堂バス停を降りたところは、御所の南になるのだが、そこから寺町通を南へ進むと革堂に着く。石碑には「一条こうだう」と記されているが正式には山号「霊麀山(れいゆうざん)」寺名「行願寺」という。

革堂・鐘楼 西国三十三所の第十九番札所でもある行願寺は上京の町堂として庶民の集う集会場としての役割も果たしていたという。

行願寺・本堂前 本堂の大提灯の下では猫が日向ぼっこしていたのだが、まさに町に溶け込んだお寺と言った雰囲気で、なんともほっこりとさせてくれる。

寺町通01

寺町通02

寺町通03 革堂を出て寺町通から麩屋町通り、六角通を歩き六角堂へ向かう。このあたりを通る度感じるのだが、古い京都と新しい京都が程よく入り混じる面白い地域である。京都の長い歴史が混在してる様は京都を小さく切り取ったようでもある。俵屋、柊家のような名旅館もあればイノダコーヒーがあったり、若者向けの店も多い。

六角堂(ろっかくどう)/頂法寺(ちょうほうじ)

六角堂・山門  六角堂の名で知られているが正式には山号を含め、紫雲山頂法寺という。西国三十三所の第十八番札所であり、創建は伝承によると飛鳥時代にまでさかのぼるというから、本当だとすればとんでもない歴史である。

六角堂・上から その名の通り、上から見る本堂は正六角形で、この本堂の北側に聖徳太子が沐浴したとされる池跡がある。その池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれ、朝夕、花を供えるうちに立花(たてばな)の名手として知られ今の華道池坊へとつながったそうだ。今でも頂法寺の住持は池坊の人間が担っており、本尊の如意輪観音に花を供えているそうだ。

六角堂・へそ石 本堂の東側、柵で囲われた中に「へそ石」と名付けられた六角形の平らな石がある。旧本堂の礎石と伝えられ、頂法寺が平安京遷都以前から存在し、位置もほぼ移動していないことから、この石が京都の中心であるといわれている。

この頂法寺も町堂として親しまれていたそうで、上京の革堂、下京の六角堂として町民たちが集う場所であったらしい。古来、寺社は時の権力の及ばない部分もあったそうだから、まさに駆け込み寺として町民の心の拠り所であったのかもしれない。

四条烏丸(101系統)→京都駅前

さて、日も沈み始めたので本日は終了。四条烏丸まで歩き、京都市営バス101系統にて京都駅前へと戻る。

今日のまとめ

今回はいずれ劣らぬ古い歴史を持つお寺ばかりだったが、革堂、六角堂はそれぞれ町堂として古くから地元の町民から愛される、小さくとも信仰の厚さが伺え、広隆寺は逆に、その雄大な歴史が存在感を表す素晴らしい寺院であった。その歴史故、何れにも神話に近い伝承が幾つもあり、好奇心をかきたててくれる旅となった。

今回乗った路線

京都駅前(9系統)→四条堀川(11系統)→太秦広隆寺前(11系統)→西大路三条(202系統)→

河原町丸太町。        四条烏丸(101系統)→京都駅前

使ったお金

一日乗車券:500円 拝観料:700円 (広隆寺・霊宝殿)

所要時間:約6時間

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