京都市バス・京都バス一日乗車券 八日目

北野天満宮(きたのてんまんぐう)・大報恩寺(だいほうおんじ)・壬生寺(みぶでら)

2014.10.07 晴れ 27℃

500円で巡る京都の旅・八日目。台風18号も過ぎ去った爽やかな秋空の下、本日は学業の神様でお馴染みの北野天満宮、「おかめの物語」でも有名な大報恩寺/千本釈迦堂などの上七軒近辺と新選組との縁も深い壬生寺を巡る予定である。


京都駅前(50系統)→北野天満宮前

京都駅前・B2 本日のスタートは市バス京都駅前B2番乗り場から。海外からの観光客の方もちらほら見受けられる。50系統に乗り、まずは北野天満宮を目指す。

北野天満宮(きたのてんまんぐう)

北野天満宮前 10:25発の50系統に乗り約30分で北野天満宮前に到着。交差点を渡り鳥居と狛犬に迎えられながら境内へと入る。

北野天満宮・石灯籠

北野天満宮・臥牛

少し長めの参道の両脇には寄進された石灯籠が大小沢山並んでいる。またその並びの中にところどころ臥牛の像が混じっているのだが、牛は天満宮において神使(祭神の使者)とされているためであろう、境内には10体ほどあるということだ。

北野天満宮・伴氏神社 参道の左に小さな社が見えるのだがこちらは伴氏社(ともうじしゃ)。菅原道真の母、伴氏を祀った神社で、 京都三珍鳥居(京都御所厳島神社、蚕の社)の一つである。鳥居が蓮の台座の上に乗っており、仏教色の強い鳥居になっている。

北野天満宮・楼門 更に進むと楼門が見えてくる。両側には随神(ずいしん、貴族の護衛に従事した官人)の像が置かれ、正面には菅原道真公を称える「文道大祖 風月本主」(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)の額が掲げられている。

北野天満宮・絵馬所 楼門をくぐるとすぐ左に見える絵馬所、算額(さんがく:江戸時代、額や絵馬に数学の問題や解法を記して、神社や仏閣に奉納したもの)等の絵馬が多数奉納されている。

北野天満宮・三光門 楼門から参道にそって「左」に進むと中門(重要文化財)が見える。重厚な造りになっており、彫刻の中に日、月、北極星がある事から三光門と呼ばれ、後西天皇(ごさいてんのう)御宸筆『天満宮』の勅額が掲げられている。

北野天満宮・社殿

三光門をくぐると国宝の社殿が正面に建つ。豊臣秀頼が1607年(慶長12年)に造営したもので、立派な檜皮葺の屋根や釣灯篭、数多く奉納された酒樽が目を引く。また本来なら楼門の正面にあるはずの本殿なのだが先に書いたとおり楼門より左に本殿があるため「筋違いの本殿」との異名もある。もちろん祀られているのは菅原道真公で、天満宮は日本で最初に「人間」を主祭神とした神社と言われている。また面白いことにこの社殿では裏側からも参拝できるようにもなっている。

北野天満宮・絵馬掛け 三光門から本殿を見て左側にある絵馬掛けどころ、やはり学問の神様とされてるためほとんどが何らかの試験の合格祈願のものでその多くは大学、高校合格祈願であった。そういえば境内では修学旅行だろうか、学生と引率の教師を何組か見かけることができたのだが、受験シーズン間近ということなのだろう。

北野天満宮・地主神社 ここ北野天満宮には摂社、末社あわせて51社あるのだがその代表格が地主神社である。楼門の正面、一番奥に有り北野創建以前からの地主の神で、境内でもっとも古い社である。本殿、境内をぐるりと囲むように建つ摂末社を一つ一つ参拝してみるのも面白いかもしれない。

ちょうど正午も過ぎた所で絵馬所に戻り持参した弁当で昼食にする。食後、ここから徒歩で10分ほどの大報恩寺、千本釈迦堂へと向かう。

大報恩寺(だいほうおんじ)/千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)

千本釈迦堂01 北野天満宮から東へ歩いて約10分、千本釈迦堂こと大報恩寺に到着。千本釈迦堂の名前の由来は、本堂の行快作の本尊、釈迦如来坐像が古来より厚く信仰されていること、千本通の近くにあることと言われている。

大報恩寺・釈迦堂 本堂は安貞元年(1227)に建てられ、応仁・文明の乱の際、災火をまぬがれた洛中最古の建造物として国宝に指定されている。

千本釈迦堂・お亀 その本堂建立の際、棟梁が大切な柱となる木材を短く切り過ぎ、憔悴する姿を見たその妻が、枡組(ますぐみ)という技法で継ぎ足すように提案し夫の窮地を救ったのだが、「女性の提言で棟梁ともあろう人物が大工事を成し遂げたと知られれば、夫の名誉を汚す」と上棟式の前日に自害してしまう。棟梁は、本堂の上棟式にあたり、妻の冥福と工事の無事を祈って、永久にこの本堂が守られる事を願い、亡き妻、阿亀(おかめ)に因んだ福の面を扇御幣(おうぎごへい)に付けて飾りつけた。これが今も伝わるおかめの物語である。

現在でも建築工事の上棟式の際は、棟札に扇御幣におかめの装飾をつけて工事の安全と繁栄を祈っている。

上七軒 さて続いては壬生寺に向かうとこなのだが、バス停に向かうついでに上七軒(かみしちけん)をぶらりとしてみる。千本釈迦堂から南へ徒歩5分ほどで上七軒の交差点に出る。北野天満宮の再建の際に残った資材を使い、七軒の茶店を建てたというのが、 「上七軒」の名の由来であるとされており、島原や祇園と並び京都五花街の一つであり、更にその中でも最古の花街と言われている。

上七軒03上七軒は北野天満宮の東参道にあたり、趣きのある和風建築の建物が並ぶ。郵便局も写真の通り溶けこんでしまっている。上七軒・お茶屋 今でも何件かのお茶屋が立ち並び、おそらく夜になれば水を打った石畳に店の明かりや灯籠の明かりが反射してさぞや趣きのある光景になるだろうと想像してしまう。

上七軒・老松 夏柑糖で有名な和菓子屋「老松」もここ上七軒にある。創業は明治と比較的新しいが、元々は古来からの朝廷の儀式に使う菓子を作っていた「有識菓子御調進所」であったというのだからかなりの老舗といえるのかもしれない。

上七軒(203系統)→壬生寺道

上七軒のバス停からは京都市営バス203系統の「西行き」に乗れば、壬生寺までは約20分(今回何故か東行きに乗ってしまい1時間ほどかかってしまった。ご注意を)

壬生寺(みぶでら)

壬生寺01壬生寺道のバス停で下車、四条通りを少し南へ下がると表門が見えてくる。額には「壬生延命地蔵尊」とあり本尊が地蔵菩薩というのがわかる。京都では珍しい律宗(りっしゅう)の大本山である。

壬生寺・本堂 門をくぐると正面に本堂が見える、正暦2年(991)快賢僧都(かいけんそうず)によって創建され、古い名を地蔵院、宝幢三昧寺(ほうどうさんまいじ)、などと号したそうだ。本尊の地蔵菩薩立像は律宗総本山である唐招提寺から移されたものということだが残念ながらお目にかかることはできない。

壬生寺・新選組慰霊碑 壬生寺は新選組ゆかりの寺でもあり、境内の壬生塚には新選組隊士の墓塔を祀っていたり、近藤勇の銅像などが建てられたりしている。

壬生寺・一夜天神 表門からすぐ右手にある一夜天神、天神という名の通り北野天満宮と同じ菅原道真を祀っっている。菅原道真が流罪になった時に、この壬生の地を訪れ 一夜をあかしたとの故事が由来になっているそうだ。

壬生寺・仏塔 本堂左側にある千体仏塔。この塔自体は平成になってから作られたものだが、石仏は明治時代に京都市の区画整理の際、各地から集められたもので室町時代からの阿弥陀如来像や地蔵菩薩像など丁度1000体、パゴダ式の円錐形に安置されている。地蔵菩薩といえば京都を中心とした近畿では夏になると「地蔵盆」が各町内で行われ、ここ壬生寺では境内約3000もの石仏の一部を地蔵が無い新興住宅地の町内などに貸し出している。巷ではレンタル地蔵と現代風に呼ばれているが、出開帳に基づく伝統行事であるとのことだ。

さて時刻は16:30というところだがすでに空は夕方模様。秋の日は短いというが少し肌寒くもなってきた所で本日はここまでにする。

壬生寺道(28系統)→京都駅前

今日のまとめ

壬生寺道からは京都市営バス28系統に乗り京都駅前まで約20分。約7時間の旅となった。秋になり今回巡った各地も少しづつだが紅葉の季節の始まりを感じさせる色付きが見受けられた。まだ少し早いかもしれないが秋は京都観光にはもってこいの季節、機会があれば是非訪れていただきたい。

今回乗った路線:京都駅前(50系統)→北野天満宮前 上七軒(203系統)→壬生寺道 壬生寺道(28系統)→京都駅前

使ったお金:一日乗車券 500円、拝観料500円(千本釈迦堂・宝物殿)、300円(壬生塚100円、宝物殿200円)

所要時間:約7時間

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